まず世界そのものが存在し、私たちはそれをあるがままに感覚し認識している、という素朴実在論は直感的だが、感覚とは相対的なもので、見る条件によって世界の見え方は変化してしまう。
だが、感覚は限定されていて本当のものを把握することはできない、とするだけでも不十分だ。

カントは「物自体」と「現象」を峻別する。
「物自体」とは、対象を人間の認識のあり方から独立に、それ自体として考えたものである。
それに対し、「現象」とは認識主観を通して成立するものである。

私たちが認識する世界は「物自体」そのものではなく、
人間の認識形式を通して成立する「現象」の世界である。
したがって、私たちは現象については客観的な認識を成立させることができるが、
物自体そのものを認識することはできない、と考える。

カントは自らを超越論的には観念論だが、経験的には実在論、と位置付ける。
経験や認識の成立条件を考えるような超越論的な観点では、空間や時間は人間の認識形式であり、それらを通して認識される対象は物自体ではなく現象として成立する。その意味で観念論である。
一方、経験の世界においては、現象は単なる主観的な錯覚ではなく、客観的に認識できる対象である。その意味で経験的には実在論でもある。

例えば、机を見ている場合、

  • 超越論的観念論:机を空間内の対象として認識できるのは、人間の認識形式を前提としているからである。
  • 経験的実在論:だからといって机が単なる主観的な幻想になるわけではない。机は経験世界において客観的に存在する対象として認識できる。

物自体という発想が含む困難さは同時代から指摘されており、
カントを批判したF・H・ヤコービは、「私は、物自体を前提にせずにはその体系へと入り込むことができず、また物自体を前提としてはその体系の中に留まることができない」と述べている。
これは、認識できないはずの物自体が、感性に作用して認識を生じさせるものとして前提されていることへの批判である。

参考文献